中島大水道


水害との戦いの記録!

店舗外観

中島大水道は北中島地区の農民が度重なる水害と水はけの悪さにたえかねて切り開き、東は西成郡増島村(東淀川区淡路)から西は申新田(此花区伝法)に至る9.5kmに及ぶ大排水路であった。延宝2年(1674年)から4年にかけて、北大道寺村の沢田久左衛門、山口村の西尾六右衛門、新家村の一柳太郎兵衛などを先頭に、22ヵ村の庄屋や村長が幕府に公儀普請水道開削の願いを繰り返したが、幕府は百姓自前普請を許可した。庄屋たちは村民を説得し、資金2千両を募り、延宝6年春、わずか50日で水道貫通という偉業をなしとげた。
 以来、明治32年(1899年)の淀川改修に至るまで果たし続け、地域の人々に計り知れない恩恵をもたらした。
 先覚者の偉業を末永く顕彰するために、この碑を建立した(昭和6年)


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